顧客や取引先から受け取った契約書、申請書、資料をクラウドのサービスに置くことは、いまでは特別な作業ではありません。では、そのファイルは、サービスを運営している会社の人から見えているのでしょうか。
「通信も保存も暗号化されています」と説明されれば、ひとまず安心できそうです。ただ、もう一段踏み込むと疑問が残ります。暗号化されたデータを開くための鍵には、誰が触れられるのか。運用の担当者は、業務データへ直接アクセスできる仕組みなのか。削除したファイルは本当に使えない状態になるのか。
こうした問いは、預け先を疑うためのものではありません。自社では直接管理できない部分が、どういう仕組みで管理されているのかを確かめるための問いです。
この記事でわかること
- 預け先の運用者からファイルを見えにくくするために、どんな仕組みを確認できるか
- 暗号化だけでなく、鍵の管理と利用終了後の削除まで見る理由
- 保存場所の記録や処理中の秘匿について、契約先へどこまで聞けるか
公的なガイドには「預け先に何を求めるか」が書かれている
IPA(情報処理推進機構)の「重要情報を扱うシステムの要求策定ガイド」は、重要情報を扱うシステムを構築・調達・運用するときに、システムのオーナーである管理者が要求仕様を決められるようにまとめられた資料です。「自律性」と「利便性」の双方を両立したシステムを、どういう要求で表すかという観点で書かれています。
参考資料にはISMAP管理基準、FISC安全対策基準、PCI DSS、NISTのガイドライン、政府情報システムにおけるクラウドサービスの適切な利用に係る基本方針などが並びます。政府や重要インフラを含む調達を視野に入れた文書であり、一般の会社や士業事務所が、契約中のファイル共有サービスへ全項目をそのまま要求する、という性質のものではありません。
それでも読む値打ちがあるのは、「安全ですか」という漠然とした質問を、確認できる項目へ分解しているからです。ガイド自身も、1つの問題やリスクに対して対策が複数ある場合があり、対策ごとの目的を踏まえて管理者が必要性を検討して定める、と述べています。全項目を満たしているかを採点するより、自分の事務所が扱う書類に照らして、気になる部分を確かめる物差しとして使うほうが実務に合います。
「暗号化されていますか」だけでは分からないこと
最初に目に留まるのは、運用する人の権限についての要求です。ガイドは、非常時の復旧などに関わる必要最低限の人を除いて、通常サービスのためにシステムを操作する運用者には、業務データへ直接アクセスできる手段を用意しないこと、としています。
ここから持ち帰れる問いは単純です。「運用の担当者は、通常の業務のなかで利用者のファイルを直接見られる仕組みなのか」。
保存データの暗号化についても要求がありますが、暗号化そのもので終わりません。ガイドは、暗号鍵に運用者が通常の手段でアクセスできないこと、鍵を管理者が指定または生成できることを挙げています。さらに、データと鍵の管理を別の組織にすることで、1つの組織だけでは解読できない仕組みにする、という考え方も示されています。
つまり確認軸は、「暗号化されているか」から「その鍵を誰が扱えるのか」へ一段進みます。データと鍵の両方に同じ立場の人が手を届かせられるなら、暗号化という言葉だけでは運用の実態までは分かりません。
消したあとと、置かれていた場所
削除についても同じことが言えます。ガイドは、利用終了時にデータが確実に削除される仕組みを求めており、対応する暗号鍵を削除することで、それまで保存されていたデータを読めない状態にする方法も要求項目として挙げています。論理的な削除が実装されない場合には、利用終了時にデータの格納された記憶媒体を物理的に破壊すること、とも書かれています。
画面からファイルが消えたことと、保存先に残るデータが使えなくなったことは、確認する内容が違うわけです。監査ログで「誰が何を渡したか」を説明できる体制を整えるのと同じ発想で、消した側の証跡も分けて考えられます。
もうひとつ特徴的なのが、保存されたデータの物理的な装置を記録し、事故が起きたときに追跡できるようにするという要求です。記憶媒体の交換や廃棄の作業についても、記録を作成して追跡可能にすることが挙げられています。ここで見ているのは「どの国に置かれているか」ではなく、あるデータがどの装置に保存されていたのかを後から確認できる管理になっているか、という点です。国内・自社データセンターという選び方の話はデータ主権の記事で扱っているので、この記事では触れません。
あわせてガイドは、故障や災害だけでなく運用者による破壊や消去も想定して、記憶装置の冗長性や別拠点へのバックアップを挙げています。一方で、管理者が自動バックアップを行わないよう指定できること、という要求も並んでいます。預ける側が「複製しない」を選べるかどうかも、確認できる項目のひとつです。
2026年7月、「処理中のデータを隠す」項目から注意書きが外れた
このガイドは2023年7月に初版が公開され、2026年7月にVer.1.1へ改訂されました。更新履歴に明記されている変更が、「計算途上のデータ暗号化の確保」という項目についてのものです。
これは、保存されているデータだけでなく、アプリケーションが処理している最中のデータについても、メモリ上などに置かれる一時的な計算結果を暗号化・隔離し、運用者などからも秘匿する機能を求める項目です。ハードウェアの技術を使って実現することが想定されており、利用にあたっては、信用しなければならない事業者(CPUチップの製造元や鍵管理装置の提供元)を確認することも書かれています。
Ver.1.0では、この技術について実用化上の課題に関する注意事項が記載されていました。Ver.1.1では、「計算途上のデータ暗号化の実用化の進展に伴い」その注意事項が削除されています。
技術の細部より、公的な要求策定ガイドの書き方が変わったことのほうが、預ける側にとっては意味があります。処理中のデータを運用者から秘匿するという考え方は以前から項目にありましたが、そこに付いていた実用化上の注意書きが外れました。保存時の暗号化だけを見るのではなく、「処理している最中はどうか」という軸もある、と知っておくには十分な変化です。
いま使っているサービスにも、聞けることはある
繰り返しになりますが、このガイドの要求を、すべてのファイル授受サービスに求める話ではありません。扱う情報と業務によって、必要な対策は変わります。脱PPAPツールを比較するときも、全項目を満たす製品を探すより、自分たちが説明を求められたときに答えられる範囲を決めるほうが先です。
そのうえで、いまの契約先に対して聞けることは残ります。
- 通常の運用担当者は、利用者のファイルを直接見られる仕組みなのか
- 暗号鍵には誰がアクセスでき、鍵の管理は誰が持っているのか
- 利用終了後のデータは、どのように削除されるのか
- 保存されていた装置を、あとから追跡できるのか
- 処理中のデータを運用者から秘匿する仕組みはあるのか
回答が返ってくるかどうかも含めて、自分たちがどこまで確認できているかを整理する材料になります。
弊社も国内の自社データセンターでファイル授受サービスを提供している立場ですが、この記事で伝えたいのは、特定の方式だけが正解だということではありません。「預け先の人から見えるのか」という素朴な疑問には、権限・鍵・削除・保存場所の記録・処理中の秘匿という具体的な確認軸がある。その軸を持っておくだけでも、サービスの説明を読む視点は変わります。士業事務所の情報セキュリティを顧問先へ説明する場面でも、同じ軸がそのまま使えます。
参考・出典
- IPA(情報処理推進機構)「重要情報を扱うシステムの要求策定ガイド Ver.1.1」(2026年7月改訂。初版は2023年7月)